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五十嵐潤 All rights reserved.
【第2弾 競作品】
デビューしてから、歌手なら誰でも通る道がある。それは前歌・中歌でビッグ歌手の着替えの間に歌うと云うお仕事だ。当時は、お若い方は知らない方が多いだろうが、西川峰子、三船和子、三沢あけみ、五月みどり等、男性歌手は、鳥羽一郎、山川豊、中条きよし、など数え切れないほど、関西に来た時は名指しで、請け負ったものです。その中で10年以上も名指しを受けてたのが、五月さんだ。その司会を専属(第一プロ)でされていた方から、『今度
競作の企画があるんだけど乗らない?』と話が舞い込んで来た。プロデューサーも、競作をよく手がける有線線放送の上役だ(片恋酒、浪花節だよ人生は、道頓堀人情等々)もちろん関西では僕ひとりに声を掛けてくれている。これはもしかして、飛躍出来るチャンスかもと、参加した。当時キングに所属していたが、競作仲間で「力」のある歌手が同じキングに居た為、コロンビアに移籍に成らされた。計、女性4人、男性2人、地域は全国に散らばっている状態でスタートだ。A面はみんな同じ曲で、B面はそれぞれ違う曲のリリースだ。その頃からパソコンの打ち込みのカラオケに生楽器を付け加え厚みを作る時代に突入していた。たぶん経費節約だろう(丁度、演歌歌手のリストラが、流行るくらい演歌低迷していたから)6人の最後にレコーディングに望んだ僕は、ライバルが居れば、断然燃え上がる方で、一生懸命家で練習した。録音の時間が朝早い為前日乗り込みで上京した。音がヘッドフォンから流れ、声慣らしをする。さあ本番1テイク終わりで、スタジオの向こうから、半泣きのプロデューサーの一言『OK!
凄くいいよ。泣けたよ・・・』その誉められた言葉に僕も涙ぐみ、『ワンテイクでOKなんて、
気に成るところがあるので、そこだけ、歌わせてください』しかし、一度泣いてしまったら、声が変わり、使い物にならず、また
作詞が『娘よ』が代表曲の鳥井実、作曲が市川昭介の優しい曲だから、よけいに感情移入が激しすぎて、泣いてしまうと涙が、止まらない曲だった。その為
小1時間位休憩をもらい、声を戻し B面の録音も
ワンテイクとは、行かないが、直ぐに終わった。絶対この6人の中から抜け出てやると、しゃかりきに、皆さんに協力を依頼し、キャンペーンにまわった。おかしな事に、有線放送では、競作なのに、僕の曲ばかり流れていたみたいだ。先にも話したが、プロデュサーが有線の偉いさんで、どうやら僕の方を押してくれたみたいで、オリコンで