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五十嵐潤 All rights reserved.
【五十嵐潤への出発】
4ヶ月の入院生活の間 仕事の為何度か、無理矢理退院させられ、その度に
また倒れ救急車!全部で7回逆戻り・・・『このままじゃ、殺される』でも、師匠の組のやくざにも囲まれ、辞めさせないように脅かされたり、脅迫、無理矢理10年契約の印鑑を、うんもすんも云わさず、捺印させられ、このままじゃ・・・と思い。病院から抜け出し事務所で単身で乗り込み『辞めさせてください』・・・首を縦にふるわけもない。(自殺も試みたが、そこは病院!対処が早かった為命取り留めた)仕方なく代理人を立て裁判に・・・結果辞めることができた。腹いせに今度は、損害賠償を求められた(10年契約は存在しない)がそれも、勝ち取り、念願であった、在る方からの紹介で作詞作曲家の中村泰士の内弟子に退院してから上京した。一からやり直すつもりで鞄持ちから・・・
いろんなメジャーに囲まれ、いろんな勉強 マナー
など毎日が新鮮だった。当時の兄弟内弟子が、『谷本知美』である。そういう時間が過ぎて、よしっ!と云う事で、約1年奉公して、大阪に戻り
名前を『五十嵐潤』に変え、レコード会社もクラウンからキングへ移籍し、名指しで当時『長良川艶歌を作った岡千秋さんと、北島さんの ( 川 ) を作れた
野村耕三さんに 初のコンビに逆指名で、曲を依頼した 』 そして新たに、五十嵐潤になってからの曲作りになります。