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プロフィール
歌手に成るのに断念して、東京・京都を経て出身の大阪に戻り、大阪ミナミでカウンターだけの10人も座れば満員になる、スナックを初め水商売に、身を埋めようと商売を初めていた。もちろんカラオケは設置している。暇もあれば、忙しい時も、又リクエストなんかも、客から云われれば歌う・・。当時、東京の巣鴨でバーテンとして、働いていた時のママと同棲と云う形で、一緒になりその店をふたりで頑張っていた。しかしマイクを持ち歌う姿を見て、自分も思っていたのだが、彼女の一言で勇気づけられ本格的にデビューになるわけだが、その一言とは『諦めないで、もう一度トライしなさい!男でしょ!五木ひろしさんにも認められて、グランプリも取ったんだから』この言葉が無ければ、歌手という職業を選んで無かったかも・・・。そこでどうすれば本格的に歌手になれる?と考えてる時に、そこは大阪ミナミ!歌手上がり、芸人上がり、流し、など沢山話を聞いていたが、間の良いことに、あのミリオンセラーを出した『宗右エ門町ブルース』を歌っていた(平和勝次とダークホース)の元リーダー、板東氏と巡り会い、歌ももちろん聞いて頂き、色々相談した結果クラウンレコードの教室に通うのが、一番近道だと、紹介してもらい、通い出し、お店を続けながら恩返しのつもりで、その板東氏のカラオケ屋(当時は 音響修理や レーザーディスクなど売っていた店)も出来る限り、もちろん無報酬でお手伝いをさせて頂いていた。その内 板東氏もレッスン風景が気になり、いろいろ僕に質問するようになり、何ヶ月かクラウン歌謡教室に通ったが月謝も高いと云う話になり、ギター弾きでもあったその板東氏が『俺が教えたる!』になり、クラウンとは繋がりながらも、師と仰ぐように成り、やがて『佐藤まこと』のデビュー曲も作って頂くようになる。この年が、五木さんからスカウトされブランクもあったが昭和63年10月の頃である。
【テビュー曲の前に】